太陽と海の恵みがいっぱい!イトサンの沖縄もずく
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海人ブログ


今から50年前の(1965)、糸満市のイノー(リーフの内海)は、沖縄では最大の広さだった。イノー付近の外海、内海は、多種多様な水産生物の棲む漁場でした。
自然豊かなリーフ近くの海には伊勢えび、サザエ、タカセガイ、イラブチヤー(アオブダイ)、アーラミーバイ(ヤイトハタ)、グルクン(タカサゴ)、赤マチ(ハマダイ)がすみリーフの内海には、タマン(ハマフエフキ)、エーグヮー(あいごの成魚)や多くの稚魚、スズメダイ等の小魚、タコ、クブシミ(甲いか)、砂浜、磯近くにはアサリ、ハマグリ、等の貝類やジャングサ(リユキユウアマモ、スガモ)、天然もずく、ホンダワラ等の海草、海藻も豊富にいました。色とりどりのサンゴはイノー花畑の様に壮観で慶良間の珊瑚礁の様でした。
 しかし、本土復帰前後の都市開発に伴う埋め立て事業により360haの広大なイノーの海は消えました。
糸満市の自然豊かな海は、2001年の糸満市潮崎や豊見城市与根の埋め立てにより90%以上影響を受け、豊かな生態系は失いました。
私の親父は、先祖代々の海人でした。若い頃は、追い込み漁、素潜り漁、アンブシ(小型定置網)、40代になってからは、もずく養殖を始めました。
私が物心ついた小学1年生の頃、寡黙な親父は、雨の日をでも(台風や大時化(しけ)以外)、毎日休むことなく、漁に出ていました。
漁に出れない時は、破れた網を船上や家で黙々と直していました。
親父は、「海に行けば手柄(海の恵み)がある」「海は学校の様に毎日行く」とよく話していた。
私達兄妹5人は、糸満の豊かなイノーの海によって育てられたと思います。
1989年頃、親父と次兄は、もずく養殖では初めて約100トンのもずくを収穫しました。その後、糸満市潮崎の埋め立て工事の影響で、もずく生産は次第に減り続け、5~10トンまで落ち込み、収穫ゼロの年もありました。30数名いたもずく生産者は1経体(父、兄)に激減ました。
 しかし、埋め立て10年後の2010頃から糸満市名城にあるもずく漁場の環境に変化が出てきました。海草のジャングサが広がり、辺りに天然もずくが増えてきました。次の年から、驚くほど速く自然環境は良くなり始めました。次第にサンゴも増え、アバサー、タマン等の中型魚も現れました。さらにアオウミガメやトコブシ等の珍しい生き物も見かける様になりました。
 まさか、糸満名城のイノーの環境や潮崎の海が回復するとは想像さえしていませんでした。天然もずくが広範囲に名城のイノーの海に溢れるとは思いませんでした。
 特に今年は、天然もずくを昨年の約3倍、10トン余りを手摘みで収穫することができました。
 奇跡的にも糸満のイノーの海は再生し始めまています。次の世代へつなぐ可能性が見えています。

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